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「大麻クラブ」と聞いて思い浮かぶものは、人によって違うだろう。会員制の栽培協会かもしれないし、バルセロナの会員クラブかもしれない。だが歴史をたどると、これらの「クラブ」は単なる集まりではなく、**商業市場でも闇市場でもない「第三の道」**で大麻へのアクセスを形づくり、ときに 法改正そのものを動かしてきた存在だと分かる。

この記事は、大麻クラブの二つの大きな源流——エイズ危機のサンフランシスコで生まれた買い手クラブと、スペインで生まれた非営利の共同栽培モデル——をたどり、それらが世界に広がり、何を成し遂げてきたのかを整理する。歴史と功績の記録であって、特定の使用や制度を推奨するものではない。

この記事の要点

  • 大麻クラブには、米国の「買い手クラブ」(患者アクセス起点)と、スペインの「ソーシャルクラブ」(非営利の共同栽培)という二つの源流がある
  • 前者は 1996 年の医療大麻合法化(カリフォルニア州 Prop 215) の起点となり、後者は 非営利・会員制モデルとして欧州に広がった
  • このモデルは、ウルグアイ・マルタ・ドイツで 法制度に取り込まれ、いまも「商業化とは別の道」を示している

第一の源流:サンフランシスコの「買い手クラブ」(米・1990年代)

最初の物語は、エイズ危機のただ中のサンフランシスコで始まる。

活動家の デニス・ペロン(Dennis Peron) は、パートナーの ジョナサン・ウェストが、エイズの症状に苦しむなかで大麻に頼っていた姿を目にしていた。当時、彼のまわりの患者たちは、吐き気やエイズ関連の消耗(ウェイスティング)といった症状の緩和に大麻が役立つと 口々に語っていた——これは当時の患者・活動家による報告であり、本記事はその臨床的効果を断定するものではない。ウェストは 1990 年に亡くなり、その経験がペロンを突き動かした。

ペロンは、伝説的な活動家 「ブラウニー・メアリー」(メアリー・ジェーン・ラスバン) らとともに運動を組織する。ブラウニー・メアリーは、大麻入りブラウニーをエイズ患者に配って三度逮捕され、そのたびに医療大麻運動が地元・全米・世界の注目を集めた。1991 年には、サンフランシスコ市で医療大麻の容認を求める 住民提案 P(Proposition P) が可決される。

そして 1994 年 2 月、ペロンやブラウニー・メアリー、ディール・ギーリンガー、医師のトッド・ミクリヤらは、サンフランシスコのチャーチ通り 194 番地に Cannabis Buyers Club(大麻買い手クラブ) を開いた。これは 公に運営された初めての医療大麻ディスペンサリとされる。単なる販売所ではなく、カフェやラウンジ、催しのスペースを備えた、HIV/エイズ患者のコミュニティセンターでもあった。

この動きは、1996 年の 住民提案 215(Proposition 215、Compassionate Use Act) に結実する。ペロンらが共同起草したこの提案は住民投票で可決され、カリフォルニア州は米国で初めて医療大麻を合法化した州になった。エイズ危機のなかの草の根の「クラブ」が、現代の医療大麻制度の起点になったのである。

第二の源流:スペインの「ソーシャルクラブ」(1991年〜)

もう一つの源流は、大西洋を越えたスペインにある。

スペインでは、私的な空間での個人使用が刑事罰の対象外と解釈されてきた。この余地を手がかりに、1991 年、バルセロナで ARSEC(ラモン・サントス大麻研究協会) が設立される。禁止政策に終止符を打ち、栽培をめぐる法的な不安定さを解消し、合法的に自分たちで供給する道を探ろうとする試みだった。

鍵になったのは、**スペイン憲法第 22 条が保障する「結社の自由」と、「共同消費(consumo compartido)」**という考え方だ。成人が非営利の団体をつくり、会員のためだけに共同で栽培し、団体内で分け合う——営利の販売ではなく、閉じた会員制の自家栽培の延長、という理屈である。

2001 年には、最初の本格的なクラブとされる「バルセロナ大麻テイスターズクラブ」が現れ、以後、多くのスペイン人が会員として、品質を自分たちで管理しながら供給を受けるようになった。そして 2005 年、汎欧州の NGO ENCOD が、この経済的・組織的モデルを表す言葉として **「Cannabis Social Club(大麻ソーシャルクラブ)」**という名を掲げた。非営利の協同組合という精神を、明確な概念にしたのである。

もっとも、この模型は 法律上のグレーゾーンにとどまってきた。バルセロナには一時期数百のクラブが乱立し、観光客向けの「実質的な販売」に近い運用も現れた。2021 年にはバルセロナ市の規制が裁判所に覆されるなど、制度としての不安定さは今も課題として残る。

モデルの世界化:ウルグアイ・マルタ・ドイツ

スペインで育った非営利・会員制のモデルは、やがて 各国の法制度に取り込まれていく

  • ウルグアイ(2013 年):世界で初めて嗜好用大麻を国レベルで合法化した際、入手経路の一つとして 会員制クラブを制度に組み込んだ(ほかに薬局販売・自家栽培)
  • マルタ(2021 年):EU で初めて嗜好用大麻を合法化し、営利販売ではなく 非営利の栽培協会を通じた供給を柱に据えた
  • ドイツ(2024 年 7 月):大麻法(CanG)の下で 栽培協会(Anbauvereinigungen) を解禁。**非営利の登録団体(e.V.)**として、会員は最大 500 人、配布は 1 人 1 日 25g・1 カ月 50g まで(18〜21 歳は月 30g)、しかも 原価で、という厳格なルールで運用される

営利の巨大市場をいきなり作るのではなく、**非営利・会員制という「クラブの発想」**を制度の土台に据える——これらの国々は、スペインが育てた模型を、より明文化された形で採用したといえる。

大麻クラブは何を成し遂げたのか

歴史を通してみると、大麻クラブの「功績」は次のように整理できる。

  1. 患者アクセスの確保:エイズ危機のさなか、公式の制度が存在しないなかで、患者に現実的なアクセスの場を提供した
  2. 法改正の起点:サンフランシスコの買い手クラブは、Prop 215(1996) を通じて、その後の米国全体の医療大麻制度の広がりの口火を切った
  3. 「第三の道」の提示:営利の商業市場でも、無規制の闇市場でもない、非営利・共同体という選択肢を具体的に示した
  4. 品質・安全への関与:会員制のもとで、栽培・品質を自分たちで管理し、無規制市場より把握しやすい供給を目指した(=ハームリダクションの発想)
  5. 可視化とアドボカシー:逮捕やメディア報道を通じて問題を可視化し、政策議論の俎上に載せた

影と課題

一方で、大麻クラブには影の部分もある。

  • 法的な不安定さ:多くのクラブは「グレーゾーン」で運営され、摘発や規制変更のリスクに常にさらされてきた
  • 商業化・観光地化:とくにバルセロナでは、非営利の理念を離れ、実質的な販売や大麻ツーリズムに近づいた運用が問題視された
  • 線引きの難しさ:「共同消費」と「販売」の境界は曖昧になりやすく、当局との緊張が絶えなかった

こうした課題があるからこそ、ウルグアイ・マルタ・ドイツのように 明確なルールで制度化する流れが生まれた、とも言える。

日本から見ると

日本には、こうした大麻クラブの制度は存在しない。大麻草の所持・使用・栽培・輸出入は、大麻取締法および関連法令(現・大麻草の栽培の規制に関する法律、麻薬及び向精神薬取締法)により規制されており、本記事で紹介したクラブは、あくまで海外の制度・歴史の話である。

ただし、「営利でも闇でもない、非営利・共同体という設計がありうる」という発想自体は、各国が医療・嗜好の制度をどう設計するかを考えるうえで、一つの参照点になる。制度ごとの違いは別記事「医療大麻は国ごとに何が違うのか」、日本の現状は「日本の大麻ルールはいま」も参照してほしい。

まとめ

大麻クラブの歴史は、**「制度の空白を、当事者たちが埋めてきた記録」**でもある。エイズ危機のサンフランシスコでは患者の駆け込み寺として、スペインでは非営利の共同栽培として生まれ、その発想はウルグアイ・マルタ・ドイツで法制度に受け継がれた。営利市場が主役になりつつある今も、大麻クラブが示した「非営利・共同体」という道は、大麻政策を考えるうえで無視できない足跡を残している。

出典

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